
こんにちは。
今回は精神障害である統合失調症の障害受容について考えていきます。
私自身まだ乗りこなしきれてないですが、今考えてることをアウトプットしておこうと思います。
それではどうぞ。
統合失調症は脳の障害
統合失調症についての概要は専門のクリニックなどがどこも同じような内容で紹介しているのでそれを見ていただくとして。
金太郎飴みたいにどこも同じこと書いてるのでどこ見ても一緒です(暴論)
統合失調症は脳内物質のドパミンの放出がおかしくなって出てくる病気だと言われています。
ドパミンがドバドバ出てくる、イマドキの言葉でいうとドパガキみたいな状態になると陽性症状として幻覚や妄想が。
ドパミンが枯れ果てると、何もやる気が起きずひどいと寝たきりになったりする陰性症状が。
それぞれ出ます。
ここで断っておきたいのが、今流行りのドパガキが必ずしも統合失調症になるとは限らないということです。
そういうデータは無いみたいです。
とはいえドパガキという概念が生まれたのも最近のことなので、追跡調査を進めると統合失調症の発症率が高かったなんてデータも今後出てくるかもしれません。
そんな統合失調症ですが、今のところ不治の病とされています。一生治りません。
一生薬を飲み続けるのですが、これ自体は慢性的な糖尿病の人も一生薬を飲んでたりするので、そこまで拒絶しなくていいのかなと思います。
おくすりで血糖値のコントロールをするように、統合失調症もおくすりでドパミンの量などをコントロールしていきます。
私は20年近く低用量の抗精神薬を服用していて、3年前に陽性症状が出て、3年越しに陰性症状がぶり返して3ヶ月ほど寝たきりに近い状態になっていました。
最近は本当にちょっとずつ刺激(活動)に触れることが出来るようになってきています。
そんな統合失調症などの障害の障害受容について考えてみましょう。
障害受容ってなんだ?
「障害受容」って聞くと、「障害を乗り越えました!」とか「障害を受け入れて前向きになれました!」みたいなキラキラしたものを思い浮かべるかもしれません。
ぶっちゃけこんなの綺麗事です。
障害受容なんてのは諦めの連続だと思います。
「諦め」と聞くとネガティブに聞こえますが、語源は「明らめる」つまり出来ること、出来ないことを明らかにして区別する、ということです。
これは出来ること、出来そうだけど無理しそうなこと、出来ないことなどを区別して、実生活を運用していくということです。
ある種で自分というハードウェアを保守整備するエンジニアになるような生活が実際のところだと思います。
身体障害の障害受容について
ここで個人的な偏見混じりですが、身体障害の障害受容について考えてみましょう。
例えば病気や事故で手が無くなっちゃったとか、脚が無くなっちゃったとか、そういう人たちです。
完全に偏見混じりなので、不快に思われたら謝ります。すみません。
身体障害の人の障害は、目に見える部分なので自分にも他の人からも「これは出来そう」「これは出来なさそう」というのが分かりやすいです。
もちろん手が無くなっちゃったらしばらくは挫折の繰り返しで落ち込んだりしますでしょうけど、統合失調症みたいな脳病でもなければメンタル面は乗り越えられるはずです。
そして、出来ること、出来ないこと、工夫すれば出来ることなどを「明らめる」ことで、区別して、折り合いをつけて日常生活を送っていくんだと思います。
ここで重要なのは脳は正常ということです。
もちろん身体障害と精神障害を併せ持つ人もいるでしょうけど、今は身体障害のみにフォーカスします。
脳みそは正常なので、一時的に落ち込んだり何気ない一言で傷ついたりもしますけど、なんだかんだで乗り越えられる力があります。
ここが強みになってくると思います。
統合失調症の障害受容について
一方の統合失調症ですが、脳の障害です。
陽性症状が出ている時なんかは、本当にそれが起こっているように体感するので、今自分が病気であるという認識を持ちづらいです。
そして、目に見えない部分なので、頑張りすぎてしまいます。
頑張りすぎると再発、悪化します。
幻覚、妄想が落ち着いてくると、あの時は病気の症状が出てたんだなと気付けたりしますけど、後の祭りです。
例えるなら、オンボロで走行距離もかなりの軽自動車なのに時速200km出せるクルマが自分みたいな。
気分が乗ってる時や、頑張れるときに頑張りすぎると時速200kmは出せるんです。
でもオンボロな車体なので、そんな踏ん張ったスピードを出していると必ず壊れて整備工場行き(陽性症状で入院や陰性症状など)になります。
今私は陰性症状が抜けつつある、言ってしまえば一番病識を持てるタイミングなんですけど、今は「時速30kmくらいの低負荷での生活スタイルを目指そう」とか思えてます。
今はそう思えてますけど、いざ社会生活が始まったら多分またアクセルを踏み込みすぎて整備工場行きになるでしょう。
何せ本人は出来るつもりでアクセルを踏んでるので、踏もうと思えば時速200kmまで踏めちゃうんですよね。オンボロ車体なのに。
これが精神障害の難しいところです。
折り合いが付かないんですよ。
出来ることも実は無理してやってる可能性とか、本人は気乗りしないのに周りが「良かれと思って」勧めた結果アクセルを踏みすぎたり。
そして統合失調症の陰性症状は本当に行くところまで行くと寝たきりの廃人みたいになるし、経過も数ヶ月から数年単位、下手すると慢性化するなどリハビリも困難を極めます。
本人が陰性症状からの回復に差し掛かった段階で「私はこれくらいの負荷で生きていく」と決意したものの、周囲の無理解で「前はもっと頑張れたじゃない」とか言ってきたりもするんですよね。
統合失調症は脳の病気なので目に見えないです。
なので、「前は出来た」とか「怠けてるんじゃないか」とか本人でもないのにとやかく言ってくる雑音にまみれてるんです。
せっかく本人が障害受容したところに水を差してくるんですよね。
ブレーキの踏み方を覚えたい
今私は陰性症状が落ち着いてきて、少しずつ回復期に向かっているところです。
色々と折り合いをつける作業をしているところです。
例えば、
- 大好きだったゲームは15分くらいで疲れる
- 映画は30分見ると疲れる
- マンガも没頭は出来ない
- 当事者エッセイなどの活字も大量にあると疲れる
- 日常のやらなきゃいけないこと(役所とか病院とか)は3日前から充電開始
- 定期的にどこかに通うのはまだ難しい
- 陽性症状の前の前駆期にもならないくらいの初期症状サインを知る
- 陰性症状になったときの療養方法、初期症状の療養方法
とまぁ、こんな感じで自分のトリセツを作っています。
とはいえこれらは陰性症状が完全に抜けてきたらもうちょっと負荷を掛けて良いと思っています。
でも実際に社会に出ていった時、今でも予言出来ますけど、必ずアクセルを踏み込みすぎて陽性症状が出るでしょう。
人間は忘れる生き物ですし、喉元過ぎれば熱さを忘れるとも言いますから。
だからこそブレーキの踏み方を身体に刻み込んでおきたいんですよね。
身体障害の人が物理的に出来ないことを明らめるように、脳の障害である私も「これをやったらアクセル踏み過ぎだぞ」っていうブレーキ、負荷の明らめが欲しいです。
おわりに
そんな感じで障害受容について考えてみました。
受容って簡単に言ってくれますけど、脳の病気で障害と折り合いを付けて共存するって並大抵の自己管理能力じゃ出来ないですよ。
どうでも良いですが、昨日珍しく部屋の掃除をしたらハウスダストが舞ったのか鼻炎が止まりません。そんな中でこれを考えて書きました。
それではまたどこかで。


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