
こんにちは。
不定期の独り言です。
新年度が始まりました。
新生活を迎える人は希望に胸踊らせているでしょうか。
それとも既に絶望に打ちひしがれていますでしょうか。
私は40手前のいわゆる「アラフォー」とかいわれる世代ですが、未だに人生の迷子です。
そんな私の人生観を反面教師にしてもらい、みなさんには楽しく人生を謳歌してもらおうという、そんな記事です。
それではどうぞ。
ざっくりとした私の生い立ち
年齢はゲーム好きらしく言うと、ドラゴンクエストと同い年です。
特性でいうと、いわゆる「メンヘラ」と言われる精神病の当事者です。
病名は統合失調症です。
生まれたときは巨大児でした。
出生時体重4,204gです。
親が栄養を与えすぎてるんですよね。
幼少期の思い出は、勉強が出来なくて連絡帳も先生が「もっとがんばりましょう」的なこと書いてて親に見せたくなかったので「今日は無かった」と嘘をついて数ヶ月やり過ごして、結局バレてこっぴどく怒られて「継続は力なり」と書道で何枚も書かされたのはよく覚えています。
高校は暗黒期でした。
本当は工業高校に行きたかったのですが、親が見栄っ張りの世間体を気にして「子は大学へ」の方針でしたので「大学行ってからやりたいことやれ、進学校じゃないと金は出さん」と希望の進路を阻まれました。
結局不登校が続いて高3までは進学出来たものの、留年が決まったので自主退学しました。
その後アルバイトをしながら22歳で通信制高校を卒業しましたが、高卒資格を得た以外に何の思い入れも無かったです。
20代でバイト先の後輩と「一緒の専門学校行こうか!」って話になり、A君とはクリエイター系、B君とは調理系で選択肢がありました。
そこでも親が口を出してきて「手に職だ!国家資格なら安泰だ!」と本当はクリエイター系に興味があったのを阻まれました。
あとはもう、1年病んで(メンタル)、2,3年リハビリ、社会復帰、1年ほどで病んで、の繰り返しです。
最長で1年、最短1日社会生活を送るのに3年近く地獄を見ないといけないサイクルは大変でした。
しかもここ数年までは病状がはっきりせず、「なんとなく抑うつっぽいねぇ(主治医)」だったので社会復帰出来る体でしたが、最近になって典型的な統合失調症の症状が陽性、陰性共に出て「あ、自分は統合失調症なんだな」と受け入れた感じです。
そんな私が色々言います。
進路は行きたいところ、後悔のないように行きなさい
まずは進路についてです。
高校、大学、専門学校、就職、資格取得、などなどいろいろな進路がありますが、なるべく行きたいところに行ったほうが良いと思います。
私は工業高校に行きたかった(機械とかパソコンに早く触れたかった(2001年とかの時代です))のを、親の見栄に付き合わされて行きたくもない進学校に進みました。
これは私が親を一生許さない出来事です。
20年以上経っても未だに許してませんからね。
中高では「パソコンキ◯ガイ」と罵倒していたくせに、今になると「大先生w」とおだててIT関係を教わろうとする。この姿勢には反吐が出ます。
(親御さんへ)そうされる覚悟があるならどうぞ、ご自身の見栄を満たす為に子を利用すればよろしいかと思います。
ただ、一部専門学校は(学校側の)お金稼ぎが目的のジャンルもありますので、まだ進路を決めかねる前段階で実際にそれに触れてみる、実績を積ませるというのはアリだと思います。
いつかは独り立ちしていく
人間いつ何が起こって親と別れることになるか分かりません。
そういう点では一人暮らしの経験は後々に活きていくと思います。
なにか失敗して恥をかくにしても、若いうちのほうがダメージが少ないように感じますし。
私も20代で2年ほど、今4年ほど一人暮らしをしていますが、当時の学びは活きているなと思います。
まだ親は存命ですが、いつどうなるかは分からないので今のうちから自立を目指している感じです。
遅くとも20代までのスキルで生きていく、それが楽
これは自分への言い聞かせです。
今アラフォーですが、1枚も絵を描いたことがないのに今から「絵描きになって食っていく!」といっても現実味がありません。
同じように、「作曲家!」「Youtuber!」(と同列なのですが)「会社員!」という風に、現実味のないスキル、分野というものがあります。
メンタル疾患があって普通の生活が出来ない、でも生活しなくてはならないとなったら、20代までに培ったスキルを活かすのが生きやすいかなと思っています。
なぜ20代かというと、これは私個人の肌感覚なのですが「物事何事も10年」だと思っていて、パソコンとか、自転車とか、写真とか、10年打ち込めばプロとは行かずとも、全くの無知は抜け出して初心者も抜けて初級者か中級者くらいにはなっていると思います。
「自分なんてまだまだ」なんて謙遜が聞こえそうですが、じゃあ全く未知の分野で今から食ってくのとどっちが良いですか?って話になります。
隣の芝は青いとは言いますし、未知の仕事にはキラキラした感情が生まれがちですが、それに今から手を付けたとして、私なんて50目前になってしまいますよと。
そういう意味で20代までに培ったスキルで食ってくと、40代にはそこそこになってるんじゃないかなというぼんやりした思いです。
もちろん私の場合はその40代がすぐそこなので、今あるスキルで生活の基盤を作らねばという所なのですが。
六十の手習いとはいうが
先程20代までに培ったスキルと言いました。
しかし世の中には「六十の手習い」という言葉もあります。
物事を始めるのに遅いなんてことはない、という意味ですね。
しかし、これは60という、ある種人生を一度終えた方が新しい人生を歩むという意味もあるんじゃないかと思います。
ある意味で本業で大成された方がYoutuberデビューするなんてのもこういう話かと思います。
決して、アラフォーになって何も持たないズブの素人から食っていくことを考える、というものではないと思います。
もちろん趣味で始める分には何をやろうと構わないのですが。
精神病という壁
冒頭でも言いましたが、私は精神病です。
自分で自認出来ただけマシとも言える統合失調症の当事者です。
これが人生を生きていく上で中々に厄介で、ことあるごとに邪魔をしてきます。
健常者の方々に説明しても理解しにくいと思うのですが、路上ですれ違う人の話し声が私への悪口に、笑い声が嘲笑に、視線もどことなくこちらをジロジロ見ているような、そんな状態が日常の病気です。ほぼ全員、90%くらいはそういう感覚を伴います。
そしてそんな状態に疲れると脳がやる気をなくし、年単位で引きこもります。
そこから徐々に回復するも、元通りというわけにはいかず「前は出来たのに、、、」と己の無力さに苛まれる病気です。
ちょっとコンビニに行くだけでも気疲れします。
これが人混みの通勤や会社などは想像しなくてもどうなるか理解出来るかと思います。
私の病気のサイクルとしては、1年社会活動(仕事なり施設なり)、病む、1,2年休養、1,2年リハビリ、また社会活動、という繰り返しをしてきました。
20代の頃は若さと体力でどうにかなっていましたが、40手前ともなると身体もガタが来はじめたりして中々サイクルを回せません。
病歴20年以上、今40手前、少なくともあと20年はこのサイクル、と想像すると非常に疲れます。
心理を学んでも病気の前には無力
一時期「心理学で自分を見つめ直せばココロとやらが良くなるのでは?」と思い、独学で心理学のやさしい本を読み漁っていました。
アドラー心理学の本に始まり、発達心理学、犯罪心理学(非行少年の未発達な心理)、行動分析学、臨床心理学の当事者向けの本など、色々読みましたし、読んだ本は抜粋、要約しましたし、出来そうなワークは生活に取り入れたりしました。
しかし、結果としては統合失調症がキレイに発症したという事実だけでした。
また、この分野というか私のいる界隈がそうなのかもしれませんが、プロの心理士さんが身近に居てくれてワークなどを一緒に見てくれる時期もあるのですが、スタッフさんの入れ替わりが激しくなかなか長続きしません。
健康な心理は健康な精神の上になるのかなとぼんやり考えています。
「受け容れる」と前に進める
どの病気もそうだと思いますが、受容をすると前に進めると思います。
その病気の対処法が分かるのもそうですし、自分自身前向きというか、「なんとかなるか」くらいには心持ちが安定すると思います。
一時期は消えるか消すかくらいに切羽詰まった時期もありましたが、むしろ病気がキレイに発症した今の方が「前に進んでみよう」という気持ちが湧いてきています。
三歩戻って二歩進む人生
統合失調症という病気は(分布は分かりませんが)概ね長期的に見ると悪化していく、どんなに良くても寛解(回復ではない)らしいです。
そして、陽性症状、陰性症状、回復期と過程を過ごすごとに以前ほどのパフォーマンスが発揮出来ない気がしています。
よく「三歩進んで二歩下がる」なんて言いますが、この病気に至っては「三歩戻って二歩進む」、つまり元いた場所が見えるのにたどり着けないという歯がゆい状態にあるなと感じます。
それすらも「なんとかなるか」の受容の気持ちで生きていくつもりです。
20年遅れで取り戻す人生
よく様々な病気についてお医者さんが「社会復帰出来る病気です」と言うことがあります。
しかし、私に関しては発病が10代なので、社会復帰ではなく社会進出がうまく行ってないなと感じることがあります。
健常者と当事者に隔たりがあるように、発病の社会経験の前後でも隔たりがあるように感じています。
病気についてくよくよと書いてみましたが、実際はそんなに落ち込んでいる訳ではなくて、「どうやって社会生活を送ろうかな?」と思案しながら丁寧に道を歩いている状態です。
道の駅などで見かける「施設で作りました」というクッキーやパンのような活動がネット上で見つかればな、と思いつつブログを書いてみたり、写真を撮ってみたりしている昨今です。
おわりに
というわけで長ったらしく自分のことを書いてみました。
支離滅裂とはいかないでしょうが、言いたいことがあっちゃこっちゃ行ってるのはもう病気のせいだとしておきます。
理路整然と文章を書ける方たちは本当に凄いなと思います。
私も、あなたも、今よりほんの少し、より良くなりますように。
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